現段階で『人生』とまでは言えないけど。

M 「それでは最後に。
たいちゃんにとってシーシャとはいただきましょうか」

たいき 「うわ出たよ。僕にとってシーシャはね…
この言い方するとキザやなってなるけど

『絆』っていう。」


たいき 「シーシャについて知ってもらうっていうのも、
1つ自分の中でのプライドにもなるし。
その中で思いもあるし、
だから自分のシーシャを侮辱されると
なにくそってなるし、
おいしいって言ってもらえたら嬉しいわけやし。
おいしいって言ってもらえたりとかおいしくないって言われた中で
自分がそこに対してやっぱり練習をして『これで出せます』とか。

この前も年末ぐらいかな12月ぐらいに
『シーシャでプリンを作ってくれ』っていわれて、
作ったけど『これはプリンじゃない』って言われちゃって。
『次もう一回チャンスあげるから、
プリンできなかったらこのお店にはもう来ない』って。

自分は甘いのがちょっと苦手やし、
そんなめちゃくちゃ得意としてる分野でもないから
得意なジョーさんに聞いてこうこうとか、
伊織に聞いてこれ入れた方がいいちゃう?ってアドバイスもらって、
自分で作ってで出た答えを持っていって
『これや!』って言ってもらえたのがあるから。
そこからそのお客さんもお店を気に入ってくれてて。
ジョーさんに聞いたり伊織に聞いたり、
やっぱりスタッフとしてもそういうところはあるから、
情報交換っていうのはやっぱりジョーさんとも
伊織とも回数が多いから仲いいし関係も深いし。

逆に『たいきがシーシャやってるから遊びに来たよ』っていう友達もいれば
『あそこのシーシャ屋さんおいしいって、
○○のシーシャ屋さんから聞いたから来ました』
って言うのも実際あるからこそ、
やっぱりそういう「絆」っていう大きな枠にはなるけど、
今シーシャって『あの人の作るあれはうまい』とか言われる時代やし、
みんなシーシャ広めていきたいっていう気持ちが
少なくとも大阪県内は持ってる人が多いと思うから、
やっぱりそういう絆がかなり大事なんじゃないかなと。」

M 「たいちゃんのシーシャ1本にはたいちゃん1人じゃなくて
今まで会ってきたお客さんだったりとか、スタッフであったりとか、
お友達であったりとかっていうのがこもって1本なんやね。」

たいき 「それはそうやと思う。もうほんまにそう。」

M 「人生?」

たいき 「人生って言っちゃうと、
やっぱり飽きが来る人もいるし。
例えばシーシャですごいやけどして、
救急車運ばれたりとかしてトラウマになる人も居るだろうし、
俺もそうなるかもしれん。
現段階でそこまで『人生』とまでは言えないけど、
でも、確かなのはシーシャを通じてできた人間関係っていうのは
間違いなく多いからだからこそ『絆』なのかな。」

M 「たいちゃん何歳までシーシャ屋さんやりたい?」

たいき 「うわ、難しいこと言うね…
人生計画の中では、シーシャに触れていくことが多いとは思う。
でもやっぱりその、シーシャだけじゃなくて『古い』『新しい』ってあるやん。
だから何歳までっていうかは自分の新しいものを
シーシャで見出さなくなったら終わりやとおもってる。
新しい作り方を俺が素直に良しとして受け止めなくなったら終わり。

新しいことをやってみている人に
『いや俺もそういうの昔やったけど~』みたいな。
やっぱり自分のさ、積んできたキャリアがあるからこそ
『それ良くなかったで』って決めつけるのは良くないやん。
でもその中で『いやそれだけは絶対にない』みたいな
『それが流行ってる意味が分からない』とか
そうなったら多分自分の中のシーシャはそこまでなんだなって。」

M 「自分の中で柔軟性がなくなったらおわりと。」

たいき 「シーシャとして自分が認めないじゃないけど、
『あっこういうのもあるんだ、これはこれでいいな』
っていう『いいな』がなくなったら終わりかな。
その時には多分スパってやめられそう。
多分その時に俺の中でシーシャは終わるんじゃないかな。

自分でシーシャは一生吸っていくものにはなるかもしれないけど
でもそうなった時点での自分の正解でずっと吸っていくと思う。
だからそれを良しとされへん時代が続いてしまうのであれば
もう多分残ってはいかれへんのだと。

まあだから今はどっちかって言うと
何歳でここでシーシャ屋さんやめる、
これからこういう事業をするっていうよりかは
やっぱりシーシャの業界を見ていきたいというのが
シーシャ屋さんになった一番の理由だから
そこがなくならない限りはやめたいにはならへんじゃないかなと思う。」

(おしまい。)